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伝統的作曲家の「構成力」は本当か?— ベートーヴェン、ブラームス、そして神話の裏側
2025.04.06
クラシック音楽の巨匠たち、特にベートーヴェンやブラームスは、「構成力」の高さが絶賛されることが多い。しかし、それは果たして本当なのか?単なる思い込みではないのか?そもそもベートーヴェンには計算能力が低かったという逸話もある。彼らの「構成力」について改めて検証しつつ、シェンカー理論などの音楽分析の世界も面白おかしく取り上げてみよう。
1. 「構成力」という曖昧な評価軸
まず、「構成力」とは一体何なのか?一般的には、楽曲の形式美やテーマの展開、統一感、バランスの取れたフレーズの配置などを指すことが多い。しかし、これらは客観的に測定できるものではなく、音楽評論家や学者の「後付けの分析」による部分も大きい。
例えば、ブラームスの交響曲第4番の終楽章(パッサカリア)は、「完璧な構成」と称賛されるが、これは後世の評論家たちが「厳格な変奏形式」を読み取ったからであり、ブラームス本人が「構成力を見せつけてやろう」と意識して作曲したとは限らない。
2. ベートーヴェンの計算能力問題と「本能的な構成力」
ベートーヴェンは天才的な作曲家である一方、計算能力には難があったという逸話がある。彼の手紙やメモには、単純な計算ミスが頻繁に見られ、例えば楽譜の小節数を間違えたり、リズムの割り振りを修正するために何度も書き直した形跡がある。
有名なエピソードとして、彼はしばしば楽譜のページ数を間違え、出版社から指摘されることがあった。また、ベートーヴェンはお金の管理が苦手で、支払いの計算を間違えることも多く、友人に何度も借金を申し込んでいた。こうした逸話からも、彼が数学的な正確性よりも直感に頼って作曲していたことが伺える。
3. シェンカー理論と「構成力」のゴリ押し
音楽分析の世界では、ハインリッヒ・シェンカーが提唱した「シェンカー理論」が特に有名である。この理論によると、偉大な作曲家の作品は、表面的なメロディや和声進行の背後に深い構造(UrlinieやBassbrechung)が隠されているという。
これを使えば、ベートーヴェンのソナタもブラームスの交響曲も、「見事な構成力」に支えられているように見える。しかし、問題はこの理論があまりに恣意的であることだ。シェンカー理論を適用すれば、実はほぼどんな曲でも「構成が優れている」と説明できる。つまり、理論そのものが「偉大な作曲家の作品は構成が良い」という前提で組み立てられているのだ。
このような「ゴリ押し」はシェンカーだけではない。例えば、ドナルド・トービーはブラームスの音楽を「対位法の達人」と持ち上げたが、実際のところブラームスは対位法的な技術をそこまで前面に押し出していたわけではない。また、チャールズ・ローゼンはモーツァルトの作品について「数学的な美しさ」を強調するが、これも一種の後付け解釈に過ぎない。
4. まとめ:「構成力」は作曲家のものか、評論家のものか?
ベートーヴェンやブラームスの「構成力」は確かに称賛されるが、その評価には以下のような問題がある。
「構成力」とは曖昧な概念であり、客観的な指標がない。
ベートーヴェンの計算能力の低さを考えると、彼が意識的に緻密な構造を設計していたとは言い難い。
シェンカー理論をはじめとする音楽分析は、「構成の良さ」を発見するために存在し、後付けの解釈が多い。
他の音楽評論家たちも、自らの理論を正当化するために作曲家の作品を都合よく分析している。
結局のところ、構成力とは「評論家が発見するもの」なのかもしれない。もちろん、ベートーヴェンやブラームスの音楽が素晴らしいことに変わりはないが、彼らの「構成の良さ」は神話のように語られるべきではなく、もう少し疑ってみる視点も必要だろう。

