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ブログ・コラム

演奏をはじめとした「再現芸術」は真の意味でクリエイティブであるか?

2025.03.01

「クリエイティブである」とは何か?この手の問いは、しばしば哲学的迷宮へと我々を誘い込む。ある者は「創造性とはゼロから何かを生み出すことだ」と言い、またある者は「既存の要素を独自の方法で組み合わせることが創造性だ」と言う。だが、もしも後者が正しいならば、演奏家もまたクリエイターの一種ということになる。なぜなら、彼らは作曲家が書き残した音符を用いながら、それぞれ独自の解釈と表現で音楽を再構築しているのだから。

だが、ここで悪魔の囁きを聞いてしまう。「それは本当に創造なのか?」再現芸術とは、あくまで「再現する」ことを目的とした行為である。もちろん、ピアニストがショパンを弾く際、どのようなルバートを使うか、ペダルをどう踏むか、音のタッチをどう工夫するかといった選択は存在する。しかし、それらの選択肢は、作曲家の意図や楽譜という枠組みの中で行われるに過ぎない。自由があるようで、決して枠組みを超えられない。このように考えると、演奏家の創造性とは「枠の中での遊び」に過ぎないのではないか。

反復練習は創造性を殺すのか?

再現芸術において最も重要な要素の一つが「反復練習」だ。しかし、反復とは往々にして創造の対極にあるものとみなされる。何度も同じパッセージを弾き続けることは、自由な発想とは無縁の行為に思える。バッハのフーガを何百回と弾き、指に染み込ませたとして、それは「創造」なのだろうか? いや、それは単なる「習得」に過ぎないのではないか。

とはいえ、一流の演奏家たちはこの単調な反復練習の果てに、真に自由な演奏へとたどり着くという。つまり、自由に見える演奏の背後には、死ぬほど不自由な訓練があるということだ。創造性とは、本来「自由な発想」によるものと思われがちだが、実際には「強固な基盤」と「制約の中での応用」によってこそ生まれるのかもしれない。

クリエイティブには文化資本が必要か?

では、創造性を発揮するためには何が必要なのか? ピカソは「良い芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」と言ったが、そもそも「盗む」ためには、それ相応の知識と経験が必要である。つまり、創造性とは知識の蓄積なしには成り立たない。

音楽でも同じだ。ジャズの即興演奏において、ただ感覚的に音を並べるだけでは「創造的」とは言えない。それが成り立つためには、コード進行、リズム、歴史的背景といった膨大な文化資本が必要となる。再現芸術であれ、即興芸術であれ、クリエイティブな行為の裏には、圧倒的な知識の積み重ねがある。結局のところ、創造とは「何もないところから突然降ってくる神の啓示」などではなく、「徹底的な学習の結果」なのだ。

そもそも創造的な芸術とはどれほど創造的か?

ここまで話してきて、根本的な疑問が湧く。「クリエイティブとされる芸術は、本当にそんなに創造的なのか?」

例えば、前衛音楽とされるものの多くは「革新的」と言われるが、結局のところ、それまでの音楽理論や既存の音楽形式を「意図的に崩す」ことで成り立っている。つまり、完全なゼロからの創造ではなく、「既存の枠組みを意識し、それを破壊する行為」に過ぎないのだ。

また、広告業界の「クリエイティブ」という言葉も考えてみよう。彼らは「新しいアイデア」を生み出すことが仕事だと言うが、実際には過去の広告手法を焼き直し、時代に合わせてアレンジするのが仕事の大半だ。本当の意味で「ゼロから何かを生み出す」ことなど、ほぼ存在しない。

クリエイティブを演出するクリエイターとは?

現代には、「クリエイティブなものを作っているように見せる」プロフェッショナルが存在する。たとえば、映画の予告編編集者は、ありふれた映画を「これまでにない衝撃作」のように見せる技術を持っているし、SNSマーケターは「平凡な日常」を「唯一無二のライフスタイル」として演出する。

これは音楽業界にも言える。コンサートの演出家、音楽プロデューサー、舞台照明の専門家、レコード会社のPR担当——彼らの仕事は、音楽そのものよりも「音楽をどう魅力的に見せるか」に重点を置いている。つまり、「クリエイティブを創る人」と「クリエイティブを演出する人」は別の存在なのだ。

クリエイターとは何か?

ここまで来て、私たちはある結論に至る。クリエイターとは、単に「何かを作る人」ではない。枠組みを理解し、制約の中で新たな価値を生み出し、さらにそれを「いかに創造的に見せるか」まで考え抜く人間のことである。

では、再現芸術の演奏家はクリエイターなのか? ある意味ではそうだ。彼らは作曲家の意図を汲み取りつつ、自分なりの解釈を加え、作品に新たな命を吹き込む。だが、まったくのゼロから音楽を生み出しているわけではないという点で、作曲家とは決定的に異なる。

そして最も皮肉なのは、「クリエイティブなものほど実は文化資本とルールに縛られている」という事実だ。自由を求めれば求めるほど、実は不自由になっていく——この不可思議な逆説こそが、クリエイティブという概念の本質なのかもしれない。

さて、ここまで読んでくれたあなたは、果たして何かを「創造」した気になれただろうか?

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