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ブログ・コラム

「一流の音楽家」って結局なんなんだ?

2025.03.30

音楽の世界には「一流の音楽家」という言葉がある。しかし、この「一流」という概念が恐ろしく曖昧だ。ピアノのリストは「一流」だろうが、彼がギターを弾けたという話は聞いたことがない。バッハは「一流」だが、ヴァイオリンをそこそこ弾けても、カスタネットの名手だったとは聞かない。マーラーは交響曲作家として「一流」だが、実際の指揮がそんなにうまかったかというと、当時のオーケストラ団員の不満を考えるに怪しいところがある。こうやって見ていくと、「一流」とはなにかという話が、つるりと手からすべり落ちる。

では、何をもって「一流の音楽家」とするのか? これは意外と厄介な問題で、話を進めれば進めるほど霧がかかってくる。技術か? 作曲能力か? 演奏のカリスマ性か? あるいは人柄か? そもそも、「一流」であることに人柄は必要なのか? いったい、どこに「一流」の線を引けばいいのだろう。

技術的な「一流」とは?

たとえば、クラシックのピアニスト。彼らは驚異的なテクニックを誇り、ショパンのエチュードを涼しい顔で弾きこなすが、それが「一流」であることを意味するのかというと、どうにも釈然としない。なぜなら、どれだけ技術があっても、作曲できないピアニストがほとんどだからだ。ラフマニノフのように超絶技巧と作曲の才を兼ね備えた例もあるが、では、彼がバッハやモーツァルトと同列の「一流」かというと、また話がややこしくなる。

作曲家はどうか? ベートーヴェンは間違いなく「一流」だ。しかし、彼はピアノの名手だったが、ヴァイオリンを弾くのが得意だったわけではない。ワーグナーはオペラの天才だが、彼のピアノ演奏を聴きたいかと言われると微妙なところだ。かたや、ショパンはピアノの詩人と呼ばれたが、彼の作風を考えるに、交響曲を書かせたらどうだったかは甚だ疑問である。

さらに奇妙な例を挙げると、ジャズの世界ではアドリブ能力が一流の証とされる。しかし、バッハが現代に蘇ったとして、彼がジャズピアノで即興を披露できるかと問われると、答えに窮する。

指揮者は「一流」か?

では、指揮者はどうか? カラヤンやフルトヴェングラーは「一流」とされている。しかし、彼らが「音楽家」として一流かどうかはまた別の問題だ。彼らはオーケストラを操ることにかけては天才的だったが、自作の交響曲を世に残したわけではない。カラヤンが作曲した交響曲など聞いたことがないし、フルトヴェングラーの作品は一応あるが、ブラームスと比較しようものなら、本人すらも遠慮しそうな出来栄えである。

さらにいうと、指揮者は楽器を演奏できる必要があるのか? それとも、棒を振りながら哲学的な顔をしていればいいのか? いや、実際、モーツァルトやメンデルスゾーンのように、指揮もできて作曲もできるとなると、これはもう「音楽家」としては完全体の域に達している。しかし、現代ではその両方を完璧にこなせる人はほぼいない。

結局、「一流」の定義は時代が決める?

ここで、社会とテクノロジーの話を持ち出してみよう。バッハやモーツァルトの時代には、「一流」とは何よりも作曲と演奏の両方ができることを指した。しかし、20世紀に入ると、指揮者という職業が確立され、彼らもまた「一流」と呼ばれるようになった。さらに、レコーディング技術が発展すると、ポップスのシンガーが「一流」とされるようになる。フレディ・マーキュリーやビリー・アイリッシュは、彼らの時代においては間違いなく「一流」だが、バッハと同じ土俵で比較するのは無理がある。

技術の進歩によって、音楽の定義そのものが変わっていく中で、「一流」の概念もまた変わる。もしかすると、50年後にはAIが作曲し、人間は歌うだけ、もしくは指を振るだけになっているかもしれない。そして、そのときの「一流」とは、AIをどれだけうまく操れるか、というスキルに移り変わっているかもしれない。

人柄は関係あるのか?

最後に、一流の音楽家にとって「人柄」は関係があるのか、という問題を考えてみたい。歴史を振り返ると、どう考えても性格に難があったとされる作曲家は多い。ワーグナーは傲慢で借金まみれ、ストラヴィンスキーは皮肉屋、シューマンは情緒不安定だった。しかし、彼らが音楽家として「一流」であることに異論を挟む人は少ない。

では、人柄が良ければ「一流」なのかというと、それも違う。温厚で社交的な作曲家は、歴史に埋もれることが多い。むしろ、何かしらの強烈な個性やトラブルを抱えた人物の方が、後世に名を残している傾向がある。これは、音楽家に限らず、あらゆる芸術家に共通する現象かもしれない。

結論:一流とは何か?

結局のところ、「一流の音楽家」の定義は固定されない。時代や文化、社会の要請によって、その意味は変化し続ける。しかし、一つだけ確かなのは、「一流」と呼ばれる人々は、たいてい何かしらの点で圧倒的な才能を持ち、周囲を納得させるだけの力があるということだ。

ピアノが弾けなくても、交響曲が書けなくても、作詞作曲ができなくても、時には人柄がひどくても、「なにか一つでも突き抜けていれば一流になれる」。そう考えると、「一流」とは案外、完璧なものではなく、どこか欠けた部分があるからこそ、人々の心を掴むのかもしれない。

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