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ブログ・コラム

謎に包まれたロシア国歌の作者──アレクサンドル・アレクサンドロフ、その知られざる実像

2025.04.10

「強大なるソビエト連邦、永久に団結せし自由の国……」

荘厳なブラスの響き、重厚な男声合唱、広がりのあるメロディ──ロシア(旧ソ連)国歌は、世界でも屈指の壮麗な国歌として知られている。第二次世界大戦中の1943年に採用され、ソ連崩壊後もメロディを引き継ぎながらロシア連邦国歌として今なお歌われているこの曲の作曲者は、**アレクサンドル・アレクサンドロフ(1883-1946)**である。

しかし、アレクサンドロフという作曲家について、意外にも詳しく語られることは少ない。なぜなら、彼はソビエト体制の下で「機能する音楽」を作ることに徹し、あまりにも「体制の音楽家」として認識されすぎているからだ。そして、彼の楽曲は「国歌」という巨大な存在によって他の作品がほとんど埋もれてしまっている。

だが、本当に彼は単なる「体制の作曲家」に過ぎなかったのか?ソビエト連邦という歴史上類を見ない国家のイメージを象徴するメロディを生み出した彼の正体とは?

アレクサンドロフとは何者か?

アレクサンドル・アレクサンドロフは、1883年にロシア帝国のリャザン県で生まれた。聖歌隊での経験を積んだ後、サンクトペテルブルク音楽院(現在のリムスキー=コルサコフ音楽院)に進学し、和声・対位法を本格的に学ぶ。彼の師にはロシア音楽界の重鎮アナトーリ・リャードフがいたことが知られているが、リャードフは一般的に「怠け者の天才」として有名であり、交響曲をまともに書き上げなかった人物である。そんな師のもとで音楽を学んだアレクサンドロフが、最終的に最も「機能的な」音楽を作る作曲家になったというのは、何とも皮肉な巡り合わせだ。

その後、彼はモスクワ音楽院の教授として作曲と指揮を教えながら、**赤軍合唱団(アレクサンドロフ・アンサンブル)**を創設。この赤軍合唱団こそが、後の彼のキャリアを決定づけることになる。

赤軍合唱団とソビエト音楽のプロパガンダ的側面

アレクサンドロフは1930年代に入ると、ソ連政府のための「体制音楽」の制作に没頭するようになる。彼が率いた赤軍合唱団は、軍事パレード、戦時プロパガンダ、ソ連の外交イベントなどで常に演奏を担当し、ソビエト国家の音楽的シンボルを確立していった。

この合唱団のために作られた楽曲の中で特に有名なのが、**《聖戦(Священная война)》**である。この曲は、ナチス・ドイツのソ連侵攻(独ソ戦)が始まった1941年6月24日に初演され、ソ連軍兵士たちの士気を鼓舞するために作られた。重厚なマーチ調のリズムと「起て、巨大な国よ!」という歌詞が示すように、これは単なる軍歌ではなく、ソビエトという国家の存亡をかけた戦いの象徴として機能した。

そして、この「国家を象徴する音楽」を生み出す能力こそが、彼を最終的に「国歌作曲者」へと導くことになる。

ソビエト国歌の誕生──スターリンとの関係

1943年、戦時中のソ連では、それまで使われていた国歌**《インターナショナル》**に代わる新たな国歌を決めることになった。インターナショナルは元々フランスの労働運動の歌であり、ソビエト連邦独自の国家イメージを作るには不十分だったからである。

この国歌の選考において、スターリンは単なる革命歌ではなく、ソ連という国家そのものを賛美するような壮大な楽曲を求めた。そして、その作曲を任されたのが、すでに「ソビエト国家のための音楽職人」としての地位を確立していたアレクサンドロフだった。

彼が作曲した新国歌は、壮麗な旋律、分厚い和声、勇壮なリズムを備えた楽曲であり、まさに「ソ連の理想」を音楽的に具現化したものだった。そして、スターリンはこれを気に入り、1944年に正式に採用。歌詞はスターリンの個人崇拝を前面に押し出したものであり、初期のバージョンでは「スターリンがわれらを導く」という一節が強調されていた。

しかし、1953年にスターリンが死去し、1956年の「スターリン批判」によって彼の評価が急落すると、国歌の歌詞からスターリンに関する言及が削除され、1977年の改訂版では完全に別の歌詞が作られた。

「国歌の人」としての宿命──彼の作品は他に残っているのか?

アレクサンドロフは1946年に死去し、彼の名前はほぼ「ソ連国歌の作曲者」としてのみ記憶されることになった。しかし、実際には彼の作った楽曲は数多く存在する。

・《聖戦》──ナチス・ドイツとの戦いを象徴する軍歌
・《栄光あれ、我が祖国》──ソビエト的愛国歌
・《赤軍の行進》──戦前の軍楽的マーチ

さらに、彼は合唱曲やオペラ作品も手掛けていたが、それらはほとんど演奏されることがなくなった。

結局のところ、アレクサンドロフは「ソビエト連邦を象徴する作曲家」としての役割を全うしたが、そのために彼個人の芸術的評価は後世に残らなかったのかもしれない。彼はラフマニノフのような旋律美も、ショスタコーヴィチのような社会批判の視点も持たず、ただ「国家のために機能する音楽」を作り続けたのだった。

スターリンの時代とともに生まれ、スターリンの時代とともに消えていった作曲家──それがアレクサンドル・アレクサンドロフの真の姿だったのかもしれない。

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