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ブログ・コラム

ロシア音楽とジャズの繋がりについて

2025.02.06

ロシア音楽とジャズの関係は、一見すると異質なものに思えるかもしれない。しかし、20世紀の音楽史を紐解けば、両者の間に意外なほど深い繋がりがあることがわかる。ここでは、ロシアの作曲家たちとジャズの交錯、そしてその音楽的影響について探ってみよう。

◆1. 20世紀初頭のロシア音楽とジャズの邂逅◆

ジャズがアメリカで誕生した1910年代から1920年代にかけて、ロシア音楽界は急速な変革を迎えていた。ストラヴィンスキーの『春の祭典』(1913年)は西洋音楽の概念を根底から覆し、同時期にプロコフィエフやショスタコーヴィチも前衛的な作風を展開し始めていた。実は、この時期のロシアの作曲家たちは、すでにジャズに興味を示していた。

プロコフィエフは1920年代にアメリカ滞在中、ラグタイムやブルースの影響を受け、ピアノ作品『サルカズム』Op. 17(1912年)や『ピアノ協奏曲第3番』Op. 26(1921年)にリズミカルな要素を導入した。また、1920年代後半には、ジャズのリズムを意識した『交響曲第4番』Op. 47(1930年)などを作曲している。

ショスタコーヴィチに至っては、1920年代末から1930年代にかけて本格的にジャズを研究し、1934年には『ジャズ組曲第1番』を書いた。この作品には、当時のソ連に輸入されていたアメリカのスウィング・ジャズの要素が反映されており、軽快なダンス音楽としての性格を持っている。その後の『ジャズ組曲第2番』(1938年)も同様に、ジャズの要素を積極的に取り入れた作品である。



◆2. ロシア革命後のソ連とジャズ◆

ロシア革命後のソビエト連邦では、ジャズは当初「西洋資本主義の堕落した音楽」として批判される一方で、民衆文化としての魅力も無視できなかった。特に1920年代のネップ(新経済政策)時代には、モスクワやレニングラードのカフェや劇場でジャズが演奏されるようになり、多くの作曲家がジャズに影響を受けた。

この流れの中で、レオニード・ウチョーソフ率いるソビエト初のジャズ・オーケストラが1928年に結成された。ウチョーソフはアメリカのデューク・エリントンやポール・ホワイトマンの影響を受け、ソ連独自のジャズ・スタイルを発展させた。彼の楽団には、後にソ連ジャズの礎を築いたアナトリー・コルニロフやアレクセイ・コズロフといった音楽家も関わっていた。



◆3. ロシアの作曲家とジャズの融合◆

ストラヴィンスキーは『エボニー協奏曲』(1945年)を作曲し、ウディ・ハーマン楽団によって初演された。この作品はクラシックとジャズの融合の試みとして知られ、ストラヴィンスキーらしいリズムの多様性とジャズの即興性が特徴的である。

また、カバレフスキーもジャズ的な要素を取り入れた作曲家の一人であり、『道化師』組曲(1938年)や『ピアノ協奏曲第3番』Op. 50(1952年)には、ジャズの影響が見られる。



◆4. ソビエト後期のジャズとその遺産◆

1950年代以降、ソビエト連邦ではジャズが次第に公認されるようになり、1970年代にはアレクセイ・コズロフ率いるアーセナルなどのバンドが登場し、フュージョン・ジャズを取り入れた独自のスタイルを確立した。特にコズロフは、ロシア民謡とジャズを融合させた作品を多く手がけ、ソビエト後期のジャズ文化に貢献した。

このように、ロシア音楽とジャズは20世紀を通じて互いに影響を与え合い、豊かな音楽的対話を生み出してきた。現代でも、ロシアのジャズ・ミュージシャンたちは、ショスタコーヴィチやプロコフィエフの作品をアレンジし、新たな解釈を加えて演奏している。この融合の歴史は、今後も音楽の発展において重要な要素となるだろう。

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