ブログ・コラム
メディアアート万歳!——未来の音楽市場における華麗なる変貌
2025.03.20
かつて、音楽とは音そのものがすべてだった。旋律、和声、リズム——それらが織りなす純粋な芸術の結晶こそが、バッハ、モーツァルト、そしてベートーヴェンの偉大なる遺産であった。しかし、21世紀も四半世紀を迎えようという今、我々は新たな芸術の夜明けを目撃しようとしている。そう、メディアアートの時代だ。
美しき過去と無慈悲な未来
クラシック音楽? 伝統音楽? それらは確かに美しい。しかし、21世紀の市場経済において、「美しい」だけでは生き残れない。かつての音楽家たちは、パトロンの庇護のもとで作品を生み出し、時に貴族や教会の権威にひれ伏しながら生きた。だが、現代においてはどうだろうか?
西洋クラシック音楽は、厳格な楽譜の支配のもと、演奏者が過去の偉大な作品を正確に再現することに重きを置かれる。日本の伝統音楽もまた、様式や流派の維持が重視され、新しい風を吹かせるには並々ならぬ苦労が必要だ。しかし、市場は移ろいやすく、過去の栄光にすがるだけでは、いずれ「時代遅れ」のレッテルを貼られる運命にある。
メディアアートの華麗なる勝利?
そこへ颯爽と登場したのが、メディアアートだ。
音と映像、テクノロジーと感覚の融合。AIが作曲し、プログラムが演奏し、観客はインタラクティブに音楽体験を「生成」する。
古き良き「演奏」という概念を超越し、もはや音楽は「所有」されるものではなく、「参加」するものへと変貌している。
さあ、考えてみよう。市場価値とは何か?
それは「売れるかどうか」だ。
ならば、メディアアートの圧倒的な市場価値は、もはや疑いようがない。
世界中の美術館やフェスティバルでは、伝統的なクラシックコンサートよりもインスタレーション型の音楽体験のほうが注目を浴びている。
NFT化された音楽データが数百万ドルで取引され、バーチャル空間ではAI指揮者が楽団を率いる。
おそらく100年後、ショパンのノクターンを弾くピアニストよりも、アルゴリズムによってリアルタイムで生成される「超個人的音楽体験」を提供するAIの方が、市場において高く評価されるだろう。
伝統音楽の逆襲はあるのか?
ここで、クラシック音楽や日本の伝統音楽を愛する者として、嘆きの声を上げたくなる気持ちも理解できる。
しかし、あえて問いたい——クラシック音楽や伝統音楽は、本当に「市場価値」を求める必要があるのか?
いや、もしかすると、彼らの価値は市場の喧騒を超越したところにあるのではないか?
一方で、メディアアートの栄光に満ちた未来もまた、果たしてどこまで続くのか分からない。
技術が進歩しすぎた結果、人間の関与が不要となり、ついには誰も「体験」しない音楽が生み出される……
そんな皮肉な結末も十分に考えられる。
あるいは、無限に生成される音楽に飽きた人々が、原点回帰としてバッハや雅楽に舞い戻る日が来るのかもしれない。
結論:メディアアート万歳!……でいいのか?
最後に、ここで一発、盛大な祝砲を上げよう。
メディアアート万歳!
我々はついに、音楽を超えた音楽、体験を超えた体験へと到達したのだ!
しかし、この祝祭が永遠に続くのか、それとも束の間の夢に過ぎないのか——それは未来の歴史が決めることだ。
とはいえ、伝統音楽を愛する皆様も、どうかご安心を。
歴史が示すように、優れた芸術は生き残る。
もしクラシック音楽や日本の伝統音楽が淘汰されるなら、
それは単に「必要とされなくなった」からに過ぎない。
そして、もしメディアアートが未来を制するなら、それは「今の我々が求めたもの」だからに他ならない。
では、乾杯しよう——メディアアートに! そして、未来の音楽市場に!
(でも正直、ショパンのノクターンの方が泣けるんだけどね。)

