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2025年 ピアノの伝統と革新
2025.03.26
ピアノの世界には、伝統を重んじる派閥と、革新を求める派閥がある。これは何も今日に始まった話ではない。古くはバッハの息子たち——カール・フィリップ・エマヌエル・バッハやヨハン・クリスティアン・バッハ——が父の対位法を捨てて、よりシンプルな様式を追求したことからもわかる。しかし、現代のピアノ界では、この分断がどうにも面白い形で顕在化している。
たとえば、伝統派の筆頭格とされるのが、ジャズピアニスト・ゆうこりん氏のような存在である。彼の演奏には、「これぞ熟練の技」と言わんばかりの気品があり、バド・パウエルやオスカー・ピーターソンの流れを汲みながらも、独自の厳格な解釈を持つ。フレーズ一つ、間の取り方一つにしても、そこには綿密な計算と長年の修練がある。「伝統を尊重することこそが音楽の深みを生む」という哲学が透けて見える。ジャズといえども、クラシック同様の厳密な伝統が存在し、その枠組みを守ることが「質の向上」と考えられているのだ。
一方で、ジェイコブ・コリア氏やかてぃん氏を支持する派閥は、音楽の境界線をあっさりと飛び越え、異種交配的なアプローチを推進している。彼らはドビュッシーやバルトークの影響を受けつつ、ジャズやポップス、さらにはインド古典音楽やマイクロトーナル・ハーモニーまで取り入れる。「音楽とは、既存の枠組みにとらわれないもの」という姿勢を持ち、和声やリズムの可能性を徹底的に拡張する。コリア氏の『Djesse』シリーズや、かてぃん氏のクラシックとジャズを融合させた演奏を聴くと、「本当にこんなことをしていいのか?」と、伝統的な演奏観に慣れた人なら多少の動悸を覚えるほどである。
この二つの流派は、互いに絶対に相容れないわけではないが、かなりの温度差があることは否めない。たとえば、ゆうこりん派の人々が「音楽の質の向上」と言うとき、それは「ビル・エヴァンスのような構築美や、バッハの対位法のような高度な技術と表現」のことを指す。しかし、コリア・かてぃん派が「音楽の質の向上」と言うとき、それは「ジャコ・パストリアスのような革新的なリズム感や、ジョン・ゾーン的なハーモニーの探求」を意味する。この言葉のズレが、両派の論争を生み出す。
では、なぜこのような対立が起きるのか? それは、音楽が単なる音の集合ではなく、アイデンティティの一部だからである。伝統を重んじる者にとっては、「音楽の質を守る」ことが自己の存在証明に近い。一方、新しいスタイルを模索する者にとっては、「音楽を進化させる」ことが生きる理由となる。彼らはお互いに「なぜそんなものを大切にするのか?」と疑問を抱くが、それは文化の違う国の人々が互いの食習慣を不思議がるのと似たようなものだ。
おそらく、未来の音楽はこの二つの流派のどこかで折り合いをつけることになるのだろう。伝統派が少しずつ新しい解釈を取り入れ、革新派がふとした拍子に「原点回帰」などと言い出す日も来るかもしれない。そう考えると、このピアノ界の分断も、案外ただの成長痛なのかもしれない。

