EN JP

LANGUAGE

ブログ・コラム

乗り番問題と日本的オーケストラ風土

2025.03.24

アマチュアオーケストラというのは不思議な社会である。いや、社会という言葉は語弊があるかもしれない。むしろ、一つの微生物群とでも呼ぶべきか。顕微鏡で覗き込めば、そこには無数の細胞がうごめき、それぞれが自らの生存圏を主張しながら、複雑な共生関係を築いている。音楽という大義名分のもとで。

さて、日本のアマチュアオーケストラでは、こと弦楽器セクションにおいて「乗り番」、すなわち誰がどのプルト(譜面台)に座るのかが一大関心事となる。これは欧米のアマオケ文化にはあまり見られない現象らしい。なぜか?おそらく、日本に根付いた「部活文化」と「サラリーマン文化」の融合が、オーケストラという小宇宙の中で熟成された結果なのだろう。

部活的ヒエラルキーの名残

日本人は、何かしらの集団に属する際、「序列」を気にする傾向がある。中学・高校の部活動では、先輩・後輩関係が絶対であり、先輩が座る位置が神聖視される。野球部ならレギュラーと補欠、吹奏楽部なら一列目と二列目。とにかく、どこに座るかでその人の「格」が決まる。

この部活的価値観は、大学を経て社会人になっても、意識の底流にしっかりと残っている。そして、それがアマチュアオーケストラのプルト問題に結びつく。要するに「自分は何番目の席なのか?」がアイデンティティの根幹に関わるわけだ。

これが特に顕著なのはヴァイオリンである。コンサートマスターに続く「1プルト目」、そしてその後に続く2プルト目、3プルト目……。各人が自らの音楽的・社会的立ち位置を見極めつつ、「なぜ私はここなのか?」という哲学的命題に悩むことになる。

サラリーマン的な席順意識

ここに「サラリーマン文化」が加わると、事態はいよいよ煮詰まってくる。企業における席順もまた、日本では重要な問題だ。会議の席、飲み会の席、さらにはエレベーターに乗る順番まで、微妙な社会的力学が働く。いわば、席の位置こそが「己の格」を測る物差しなのだ。

アマチュアオーケストラにおいても、「長年在籍しているのに、なぜ私は3プルト目なのか?」「最近入ったあの人がなぜ前に座っているのか?」といった怨嗟が渦巻くことになる。誰もが「音楽が好きで参加している」と表向きは言うが、心の奥底では「どうして私はこの席なのか?」という問いを抱えているのだ。

欧米との違い

一方、欧米のアマチュアオーケストラでは、このような席順へのこだわりは比較的薄いらしい。そもそも「音楽を楽しむ場」なので、前の席に座ろうが後ろに座ろうが、大した問題ではない。たとえばイギリスのアマオケでは、リハーサルごとに席を変えることもあるという。日本でこれをやったら、おそらく大混乱に陥るだろう。いや、混乱では済まないかもしれない。降り番(休み)を増やすべきかという議論にまで発展する可能性がある。

日本的オーケストラ社会の美学

しかし、こうした「席順へのこだわり」もまた、日本的な美意識の表れといえるのかもしれない。茶道や華道と同じく、型や秩序が重んじられる文化圏において、アマチュアオーケストラもまた、単なる趣味の場ではなく、一つの「型」を持つ場である。そこでは、音楽的な実力だけではなく、在籍年数、貢献度、そして時には「阿吽の呼吸」といった曖昧な要素が絡み合い、席順が決定されるのだ。

もちろん、これを滑稽だと笑うこともできる。しかし、一方で、こうしたこだわりがあるからこそ、日本のアマチュアオーケストラは独自の緊張感を持ち続けているともいえる。

結論:席順は人生そのもの

結局のところ、日本のアマチュアオーケストラにおける「乗り番問題」は、単なる音楽上の問題ではない。それは、社会的な自己認識の延長であり、人間関係の縮図でもある。つまり、席順は人生そのものなのだ。

もしあなたが日本のアマチュアオーケストラに参加するなら、一つだけ覚悟しておいた方がいい。「音楽を楽しむだけでは済まない」ということを。むしろ、席順の哲学に翻弄される覚悟を持った上で、優雅にボウイングを決めるのが、日本的オーケストラ生活の嗜みなのかもしれない。

一覧