ブログ・コラム
ピアノ発表会はJポップの海
2025.03.21
発表会の舞台に上がるたびに、私たちは音楽の歴史の目撃者となる。そして今日もまた、その歴史は新たなページを開く——そこには、ショパンもベートーヴェンもいない。目の前に広がるのは、Jポップの大海原だ。
ステージに登場するのは、30代女性が奏でる「First Love」、50代男性が懐かしそうに弾く「乾杯」、そしてトリを飾るのは、圧倒的熱量で駆け抜ける「夜に駆ける」。すばらしい。これが新時代の音楽教室の姿である。なぜなら、クラシックよりもポップスの方が圧倒的に需要があるからだ。そもそも、ピアノを習う多くの人は、ラフマニノフの「鐘」を叩きつけるためではなく、カラオケで歌ったあのメロディを鍵盤で奏でたいのだ。それこそがリアルであり、現実であり、音楽教室の主流である。
音楽教室もまた、変化に適応するのが生存戦略というものだ。「生徒のやりたいことを優先し、楽しく音楽に触れてもらう」という美辞麗句のもと、指導者たちは今日もJポップのコード進行をせっせと教え続ける。先生はすでに悟っている。「幻想即興曲を弾きたい」という生徒は年々減少し、むしろ「Official髭男dismみたいなオシャレな響きが欲しい」と要求される時代なのだ。
クラシックはどこへ消えるのか
その一方で、クラシックを志す者たちはどうしているのか。彼らは次第に教室から姿を消し、個人教授の世界へと逃げ込んでいく。ショパンやドビュッシーを本気で学ぼうとする人々は、もはや音楽教室の生ぬるい空気には耐えられない。彼らにとって、「紅蓮華」が絶叫する発表会の舞台は、もはや自分の居場所ではないのだ。
結果として、音楽教室はJポップの楽園となり、クラシックは閉鎖的な小部屋へと追いやられる。この構図はまるで、かつて貴族が宮廷音楽を嗜み、庶民が流行歌を口ずさんでいた時代に逆戻りするかのようである。音楽の民主化が進んだかに見えたこの現代で、実は文化的階層が再び生まれているのだ。
音楽教室は、「みんなで楽しく弾こう!」というスローガンのもと、クラシックを静かに見送り、Jポップの熱狂に身を委ねる。しかし、その裏で、孤独な個人教授の部屋では、細々とバッハのインヴェンションが奏でられ続ける。この対比のなんと皮肉なことか。
そう、これは単なるピアノ発表会の話ではない。文化のゆくえの話なのだ。あなたの耳に届くのは、Jポップの軽快なメロディか、それとも遠ざかるクラシックの響きか——その選択は、私たち一人ひとりに委ねられている。

