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ブログ・コラム

滝廉太郎再評価の嵐──冷徹に、されど愛をこめて

2025.03.22

ここ数年、滝廉太郎(1879-1903)の名を再び耳にすることが増えた。彼の作品は日本近代音楽の黎明を告げるものとして、また短命の天才が遺した数少ない楽曲として、一定の神話性を帯びている。しかし、彼の作品が「純粋な音楽的価値」だけでここまで注目されているのかと言われると、私は若干の疑義を抱かざるを得ない。

彼の楽曲は美しい。これは間違いない。だが、「美しいからこそ、名曲」とする単純な構図に乗るのは慎重であるべきだ。彼の音楽は、その歴史的背景と、彼が音楽史上に占める「特異な立ち位置」によって価値づけられている側面がある。だが、それを抜きにしてもなお、彼の音楽は聴くに値するのか。私は冷徹に考察し、そしてなお愛情をこめて、滝廉太郎の音楽の「今」を論じてみたい。

滝廉太郎神話──短命ゆえの美化

「夭折の天才」という枠組みは、音楽史においてしばしば過大評価のトリガーとなる。シューベルト、モーツァルト、アーン、レントゲン……彼らは夭折したがゆえに神格化され、その作品もまた「未完の可能性」を背負って語られる。滝廉太郎もその一人であり、肺結核により23歳でこの世を去ったことで、彼の作品は「もし長生きしていれば、もっと素晴らしいものを残したに違いない」という幻想をまとっている。

だが、現実はどうか。
彼の残した楽曲は、基本的に「西洋音楽の形式に則りながらも、どこか日本的な旋律を交えた」ものであり、同時代の西洋作曲家と比べても、特筆すべき革新性はない。これは非難ではなく事実だ。彼の音楽が未熟だったのか?否。むしろ、短命ゆえに「完成されていない」とされることの方が問題なのである。

もし彼が長生きしていたら、より成熟した作品を書いたのか、それともただ時代に埋もれていたのか。その問いに対する答えは誰にも出せない。しかし、一つだけ確実に言えるのは、彼の音楽が「完成された未熟さ」によってこそ価値を持ち得るということだ。

「荒城の月」──名曲の呪縛

滝廉太郎の楽曲の中で、最も知られているのは「荒城の月」である。これは今や日本の歌曲史において絶対的な地位を占め、あらゆるアレンジが施され、あらゆるジャンルで演奏されてきた。しかし、この曲が「彼の最高傑作」として語られることには、私は一抹の違和感を覚える。
旋律は哀愁を帯び、美しく、和の情緒を感じさせる。しかし、これは本当に「滝廉太郎の個性」が存分に発揮されたものなのか?
むしろ、ここには当時の西洋音楽の様式がかなり色濃く反映されており、日本的情緒はあくまで「日本語の歌詞」によって補強されているに過ぎないのではないか。旋律そのものが純然たる「和」の感覚を持つかといえば、実はそうでもない。

そして、この曲の異常なまでの「国民的知名度」が、他の滝廉太郎作品を埋没させているという現象も見逃せない。「荒城の月」は名曲だ。しかし、それが滝廉太郎のすべてだと思われるのは、あまりに彼にとって不幸ではないか。

ピアノ曲《メヌエット》──西洋の夢、未完の響き

滝廉太郎の器楽作品の中でも、最も演奏される機会が多いのがピアノ曲《メヌエット》である。この曲は、極めて素朴でありながら、端正な西洋古典音楽の形式を踏襲している。旋律は流麗で、調性感は明確であり、和声も無理なく機能している。しかし、これは「滝廉太郎の音楽」としてどこまで評価されるべきだろうか。

正直に言えば、この作品は「滝廉太郎でなければ書けなかった曲」ではない。これと同じようなピアノ小品は、当時のヨーロッパの作曲家であれば、いくらでも書けたであろう。しかし、だからといってこの曲の価値が低いわけではない。むしろ、この「西洋音楽の完全な模倣」の中に、日本人としての滝廉太郎の意志がどのように潜んでいるのかを探ることこそ、重要なのではないか。

滝廉太郎の「価値」とは何か

では、滝廉太郎の音楽は、結局のところ何に価値があるのか。
私は、彼の音楽が持つ「日本近代音楽の象徴性」にこそ、真の意味での価値があると考えている。

彼の作品は、西洋音楽と日本音楽の融合を試みた「未完の実験」として存在している。それは時に拙く、時に模倣的でありながらも、「音楽という言語を使って、新たな日本の響きを模索しようとした」という意思が明確に刻まれているのだ。

彼の音楽を「純粋な芸術的価値」だけで評価するのは無意味だ。それは、歴史的背景を無視してモーツァルトのオペラを語るようなものだ。滝廉太郎の音楽は、その美しさや完成度のみによって評価されるべきではなく、「日本人が西洋音楽を取り入れながらも、どう自らの音を確立しようとしたか」という文脈の中でこそ、その価値が見えてくるのである。

そして、私はこの冷徹な視点を持ちながらも、滝廉太郎の音楽に深い愛着を抱いている。なぜなら、彼の音楽は未熟でありながらも、夢と憧れに満ちているからだ。そこには、音楽というものが本来持つべき純粋な衝動が宿っている。
冷たく分析し、批判的に見つめながらも、私は滝廉太郎の音楽を愛さずにはいられないのだ。

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