ブログ・コラム
作曲家の死後、意図せず有名曲になった作品とは?
2022.02.14
天才作曲家は、後世に傑作とされる作品を多く残しました。
傑作の多くは、天才作曲家による天才的な霊感にあふれていて、
その天才的な霊感は、聴く者と演奏する者の精神性を高揚させ、高次の感動へ導くといわれています。
しかし、いつも全身全霊で霊感を最大値まで上昇させ、芸術的な価値の高い楽曲を制作していたわけではありません。
作曲家も人間です!
天才と呼ばれる作曲家も、日々のパンを得るために奔走していたことは、多くの文書・手紙等によって残されています。
時には「やっつけ」で曲を書くこともあります。
なかには、気に入らない「駄作」もあるでしょう。
今回は、天才作曲家たちがやっつけで書いた作品や、あまり気にいってない作品などを紹介していきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
◆ショパン「幻想即興曲」
この曲は、ショパンの生前には出版されなかった。
ショパンは「自分の死後、この楽譜を燃やして処分して欲しい」と頼んだそう。
現在、ショパンの最も有名な曲の一つになってしまったことから、遺志は守られなかったといえよう。
◆チャイコフスキー「四季」より「1月・炉端で」
12曲からなるピアノ組曲「四季」。雑誌の付録として1か月に1曲ずつ曲を書きおろした結果、組曲として完成したようである。
そのなかの「1月」は、召使から作曲の催促をされた後、30分で書き下ろしたと言われる。やはり天才であるとしか言いようがない。
◆ドビュッシー「夢想」
「音楽における印象派」と呼ばれるドビュッシーにしては分かりやすく書かれた曲である。若いころのドビュッシーはお金が無く、生活のために意に反した作曲もせざるを得なかったと伝えられている。
◆スクリャービン「幻想曲」
若いころはショパンの延長線上ともいえるロマンティックな曲を書いていたが、
晩年は崩壊スレスレともいえる難解な音楽を書くようになっていた。
晩年、スクリャービンの友人が、スクリャービン自身に向けて「幻想曲」を弾いて聴かせたところ、
スクリャービン自身は「それ誰の曲?」と聞いたそうである。(認知症ではない)
「幻想曲」は、陰鬱な曲が多い初期スクリャービンにしては華麗で外交的な性格をもつ楽曲なので、嫌々必要に迫られて書いたのではないかと推測できなくもない。
◆ショスタコーヴィチ「第2ワルツ」
旧ソ連を代表する作曲家ショスタコ―ビッチは、一筋縄にはいかない晦渋な曲調の作風をもっていた。
しかし、社会主義国家の作曲家として、国家に奉仕することも求められていた。
「第2ワルツ」のようなポピュラリティのある楽曲は、生きていくために書かざるを得なかったといえよう。
◆まとめ
いかがでしょうか。
現代までレパートリーとして残った楽曲でも、作曲家の意図とは別であることは大いにありうるのです。
レッスングリッドでは、ジャンルごと、スタイルごとに深い専門性を持つ先生が多く在籍しております。演奏してみたい楽曲がある方は、ぜひ一度体験レッスンを受けてみませんか。申し込みお待ちしております。