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ブログ・コラム

ショパン 英雄ポロネーズについて

2022.01.11

ショパンの人気曲である「英雄ポロネーズ」。
だれもが耳にしたことがあるかと思いますが、「曲の成り立ちや詳細」についてはあまり知られていません。
今回は「英雄ポロネーズ」について、いろいろと掘り下げていきたいと思います。


◆ポーランドへの愛

ショパンは祖国ポーランドを大変愛していました。
生涯にわたって、マズルカ(速い3拍子の跳ねるような舞曲)や、ポロネーズ(ゆっくりした3拍子で行進曲調の舞曲)といった、
ポーランドの民族舞曲を作曲し続けました。


◆ショパンのポロネーズ

ショパンは7歳のとき、初めてポロネーズを作曲しました。それから、生涯で18曲のポロネーズを作曲しました。
内訳ですが、番号がついているポロネーズ7曲、オーケストラ伴奏付きポロネーズ1曲(アンダンテ・スピアナートと華麗なるポロネーズ)、チェロとピアノのための序奏と華麗なるポロネーズ1曲、これらの9曲は現在でもコンサートで演奏されます。その他の9曲は全て幼少期の作品で、演奏されることは稀です。最後に作曲されたポロネーズは亡くなる3年前、46歳の時に書かれた作品で、「幻想ポロネーズ」と呼ばれるショパンの最高傑作の一つになります。
他には有名な作品として、「軍隊ポロネーズ」が挙げられます。


◆英雄ポロネーズの誕生

「英雄ポロネーズ」はショパンの最後から2番目に書かれたポロネーズですが、完成した歳は32歳と「幻想ポロネーズ」よりも14年前に書かれたことになります。
このころショパンは病気から回復し、療養先(フランス中部の村ノアン)からパリに戻ったところでした。
そして、ショパンはレッスン活動と作曲を精力的に行う中で、「英雄ポロネーズ」「バラード4番」などといったショパン後期の作品の多くが生み出されていきました。


◆作品のキャラクターについて

ショパンは病弱ですが、感情は激しかったと伝えられています。
ショパンの音楽は女性的と言われることがありますが、よく聴くとミリタリックなリズム・モティーフが散見され、
かなり好戦的な性格が作品から伺えます。
特に、ロシア等の大国によるポーランド侵攻に対しては、烈火のごとく怒り、その怒りは作品にも表出しています。(革命のエチュードなど)

ショパンと同時期の作曲家シューマンは、ショパンの音楽について「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」と評しました。
その中でも「英雄ポロネーズ」は、同時期に作曲された作品のみならず、ショパン全作品中で異例とも言える勇敢なキャラクター性をもつ楽曲であるといえます。


◆まとめ

ハンサムだが病弱激情的な性格をもつショパン。そんな男になったつもりで英雄ポロネーズを弾いてみるのも面白いかもしれません。
難しい曲ですが、良き演奏になることを祈っております。

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